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言えない秘密について

言えない秘密、誰だって持っていると思う。人間の心理には隠し事が必要なようだ。もちろん、自分のだめなところや失敗したことを隠したい人は多いと思うが、この「隠したい」気持ちは必ずしも悪いことに対してばかりの現象ではない。幸せなことを隠す時もある。 だから、プライベート(隠し事)がないと、人間の精神状態はおかしくなる。いつでもみられているような感じがする。極端な言い方だが、すべてを強制的に告白させるのは拷問の一種。

「好き」という気持ちは、だいたい言えない秘密として生まれる。そのうちに告白に移すことを期待するが、大切なのは、本人がコントロールすることだ。もし最初に友達に言って、その友達が本人の許可なしに第三者に言ってしまい、その第三者が当の本人にそのことを告げてしまうとなると、とんでもないことになりかねない。まるで中学校の大ドラマのように、スキャンダルになる。 そのような恥をさらさないため、人間は自分のプライベートなことを内緒にする。プライベートなことは些細なことであろうと、大事なことであろうと、プライベートにするだけで、その価値が高まるはず。言い換えてみれば、プライベートにすることは、自分の宝物にすることだ。 しかし…

大都市の「匿名」

東京とか大阪など、大都市は人間が溢れている。出逢いが多いのはありがたいことだが、出逢いがあまりにもたくさんあって、戸惑ったり引き籠もったりする人もたくさんいる。これは、ある意味自然な現像なのではと僕は思う。

出逢いがたくさんあるから人間の心が弾むじゃない。大切な人に出会うから、心が踊る。だから、田舎を離れて大都市に行く人は多くの出逢いを期待しているが、実際に行くと、ガッカリする人が大勢いる(たくさんいるー>別の言い方)。なぜかというと、数え切れないほどの人に出会っているのに、共通の趣味や興味をもっている人があまりいなくて、逆にとてつもなく寂しく感じたりすることもあるからだ。

もし一人で島に暮らしていれば、なぜ周りに友達がいないのかはすぐ理解出来る。人がいないからだ。しかし、大都市となると、周りに人間がいっぱいいるのにも関わらず、あまり親しい仲間がいない場合、人間は耐えられない。だから、自分を責めたり、自虐したりして、ひどい目に遭う。(別の言い方)

その環境にあって、家族から離れていて、挙げ句の果てにその寂しさに負けてしまい、クラブやバーで暴れたり、昨夜記憶もなしに見知らぬ人のそばで起きたり、思い切り自分の寂しさを忘れようとする人間がいる。だけど、自分の寂しさを忘れるために、自分を忘れる必要があるという辛い真実にぶつかってしまう。

「量より質」は出逢いの理想の一つ。もし、結婚が目的であれば、一人の素敵な人に会えば良い。別に百人の候補者なんか必要ない。千人とか一万人になると、探すことすら面倒くさくなってきて、理想の相手を見つけるまでに、たくさん時間がかかる。近道があるに越したことはないが、残念ながら近道はなかなかないみたいだ。

ちょっとネガティブな言い方に言い換えてみれば、出逢いが多ければ多いほど、ガッカリする。大都市の出逢いがたくさんあるからこそ、逆に余計に寂しくなる。

寂しくなるから、体の関係だけを求めたり、相手と長くうまくいかなかったりするようになる。

大都市に行くと、「今夜だけの出逢い」は数切れないほどあるのだ。来週は違うバーに行けばその人に会うチャンスはほぼゼロ。これが、大都市の「匿名」の怖さである。

人間は社会的な動物の一種とよく言われている。人間には友達と家族は必要なのだ。当然のことだが、家族と友達はお互いを知れば知るほど、親しくなる。縁のある相手と時間を過ごすと、心が落ち着く。その相手がいないと、何をやっても落ち着かないことだってある。

簡単に会う。簡単に寝る。簡単に別れる。ハロー。おやすみ。さよなら。ハロー。おやすみ。さよなら。

繰り返すにつれ、自分が嫌になる。嫌になっているのに、寂しすぎて、歯止めがきかなくなる。そのまま自分が圧倒的な人数に流される。そして、更に自分が嫌になり、「こんなことするのは情けないけど、自分自身も情けないからやっても良い、しかたがない」と思うようになってしまう。匿名による逃げ場ない悪循環。