「アメリカ人の男性は、日本人の男性と違って、いつも正直に言ってくれる」と日本人の女性の友達に言われたことがある。
僕はこの発言をとても不思議に思った。確かにアメリカ人の男性は、日本人と比べて断言する数が多いと思う。だが、「ハッキリ言う」ことと「正直に言う」ことは違う。
僕からすると、どうみても「正直」は国籍と関係ない。国の文化がよっぽど腐っていない限り、正直な者はどこでも人口と同じぐらいの割合を占めているのではないか、と思う。
だとしたら、アメリカ人が日本人より正直ということではなく、アメリカ人が日本人より正直にみえると言おう。では、なぜアメリカ人は正直にみえるのか。すぐ思いつく理由が三つ。一緒にゆっくり考えてみよう。
①アメリカ人はあまり日本語が出来ない
せっかく日本に来ても、片言の日本語も喋ら
れないアメリカ人がたくさんいる。一度も日本語を覚えようとしないで、数年間日本に滞在しているアメリカ人だっている。彼らは、ひどい言い方ではあるが、「日本人は第二次世界大戦に負けたんだから、英語を話せば良い」と思っているのかもしれないし、「アメリカは世界一の国だから、皆は英語を学ぶべき」と思っているからかもしれない。どちらにせよ、このように考えている人は日本の文化に全く興味がないと思われるので、とりあえず彼らは問題外にしておく。
では、残りはどうだろう。確かに日本語が流暢なアメリカ人はいる。しかし、その割合を考えると、特に英語が出来る日本人に比べれば、非常に少ないと思わないか。また、日本在住の中国人と比べてみると、アメリカ人は明らかに語学力に欠けている。まあ、これはある意味日本社会の思っている通りだからこそ、皆は忘れがちかもしれない。日本人はアジア人をみると、日本語で話してくれないと違和感を覚える人はたくさんいるし、同じように白人が英語じゃなくて日本語で声をかけると、戸惑う人がいる。
日本人の英語はいい加減なものだと世界中で言われているが、アメリカ人の外国語も大したことはない。ヨーロッパの言語ならまだしも、ロマンス系諸言語じゃないと大変なことになる。十年間日本で暮らしてきたのに、数百個の単語しか知らない人だっている。
これを背景にして、議論を進めよう。ご存じの通り、日本語に比べて英語には「私」「あなた」等、代名詞を主張する傾向がある。日本語の文法や文化をあまり理解していない人は、「私はあなたが大好き」とか、「私は今日、あなたと一緒にいて楽しい」とか、数少ない単語でも頑張って、とっても嬉しい言葉をかけてくれる。
これは悪いことではないが、日本語でも英語でも、あまり言葉が出来ないとなると、コミュニケーションに支障が出るのは事実だ。言葉の意味を勘違いしたり、微妙にニュアンスの違う単語を無意識に使ったり、自分が思っていることと全く違うことを言ってしまったり、いろいろある。お互いをあまり理解できない場面となると、本当に正直かどうか、判断がつかなくなる。相手の言葉の意味があまりわからない場合は、判断する基準はない。
実際には彼に皆の前で馬鹿にされたのに、嬉しい言葉を言われたと勘違いしていた女性を知っている。彼女が「正直」だと思った彼の言葉の本当の意味が分かった日、彼女は涙がとまらなかった。
僕は皆の泣いている姿をみたくない。ご注意を。(もっと優しい言い方はあると思うんだけど、今思いつかない)
②アメリカ人の笑顔は凄い
これはあまりにもトンチンカンな理論だが、一般のアメリカ人は一般の日本人より三倍ぐらい笑っている。誰に対しても微笑する人は、信頼される。
「ハッキリ言う」と「正直に言う」の違い
思っていることをそのまま口に出すのが「ハッキリ言う」。今日は暑いから「暑いな〜」と彼は言う。今夜はカラオケに行きたいから「一緒に行こうよ」と誘ってくる。貴女が素敵なドレスを着て、彼の目がギョロギョロして、「君、めちゃめちゃ綺麗だよ」と褒めてくれる時もある。これらの表現が彼の正直な気持ちだから、このようにハッキリ言ってくれると、女性もスッキリして、安心できるだろう。
悩んでいる時にもハッキリ言ってくれる彼。「今日はどうしたの?」と聞くと、「ボスに叱られた」とか、「財布を電車に落とした」とか、明確に説明してくれる。
しかし、僕はこのような言い方を「正直」と呼びたくないのだ。なぜかというと、ちょっと説明は長くなるが、聞いてくれ。
彼の言葉は、頭の中そのものを口で音に変えたものだ。しかし、僕からすると、人間は考える時、二つの場所で考えると思う。その二つの場所とは、脳とハートだ。
脳は、日常の出来事を処理する役割を果たす。毎日脳の中身は整理され、いつも新しくなっている。それに対して、ハートは人生の絆の塊で、歳をとるにつれ、深くはなるものの、そんなに即座に変えられるようなものではない。
言い換えてみれば、脳は短期記憶みたいな存在で、ハートは長期記憶のような存在であろう。
「ハッキリ言う」ことは、今の気持ちそのままを表現すれば良い。今日はそうだけど、明日は違うかもしれない。その反面、「正直に言う」のは「考えた挙げ句、こういう結論に達した。自分の言葉に自信がある。」ということだ。
そう考えてみると、「ハッキリ言う」だけで、貴女のことを真剣に考えているとは限らないことがわかる。むしろ、ハッキリ言う人の中には、自分以外のことを何も考えていないような人が意外と多い。もちろん、一概には言えないのだが、口を開ける前にちょっとでも遠慮しない人は、当然あまり考えていないことがよくある。(僕もこのような人間だから、このぐらいはわかっている。)
これは別に悪いことではない。でも、「口先だけの奴じゃない?」と言われたら、やっぱり苦労する。本当に何も考えずに喋っていることが多いからだ。アメリカ人の考え方の中に、「怒っている時はそれを心の中にため込もうとするのではなく、それを口にして、つまり、不満を形にして、その不満の塊をどこか自分から遠いところに投げれば良いんだ。そうすることで、スッキリする。そうしないと、どんどんどんどん精神的に窮屈になり、いつか必ず爆発する。」という考え方がある。
だから、多少言葉がきつくても、ハッキリ言った方が良い。その方が、爆発より許せるからだ。
まあ、きっとスッキリする。実は、上記の文をみると僕はちょっと「ハッキリ言う」人のことを軽蔑しているようにみえるかもしれないが、実際にはそんなつもりはない。ただ、言っておきたいのは、繰り返しになるが、その「ハッキリ言う」ことイコール「正直に言う」ことではないということだ。
まあ、正直に言うこととハッキリ言うことは矛盾していない。正直にハッキリ言う時は珍しくない。ただ、ハッキリ言っているからといって、それが真実であるとは限らないことを、決して忘れてはいけない。
③己を知らない限り、正直に言おうとしてもなかなか出来ない
言葉の問題はないとしても、彼が何でも正直に言ってくれるとは限らない。確かにその瞬間思っていることそのままを口にするアメリカ人はたくさんいる。しかし、僕からすると、どうも「正直さ」とはちょっと違うと思う。
なんでもかんでも口にするのは、ただ自分の口をコントロール出来ないからだと思う。もちろん、好きなことは好きと言って良い。だけど、嫌いなことをいつもハッキリ嫌いと言うとなると、そこまで行く必要はない気がする。
日本に留学した時、今でもハッキリ覚えている出来事の一つは、日本人のマナーについての講義だった。先生の話はこうだった。「日本人はレストランに行って、食事が美味しかったら『美味しい』と言い、最後にちゃんと『ご馳走様でした』という。あまり美味しくなくても、『ご馳走様でした』と言うのです。だけど、これを誤魔化しと思わないで下さい。『ご馳走様』というのは、礼儀であり、料理を作ってくれた人への感謝を表す表現です。料理が美味しくなかったら、そのことを言う必要は全くありません。二度とそのレストランに行かなければ良いのです。」
当時大学生だった僕がこの説明を聞いた時、非常に感動した。というのは、恥ずかしいことに、僕はこのように考えたことはなかったため、家族や友達とレストランに行くと、まずい時は周りの人に聞こえないように声を殺して、一緒に食事している仲間と、「あまり美味しくないな」と確認する習慣が身についていたからだ。しかし、この日本語の先生の説明を聞いて、「なるほど」と納得しながら、「自分の前のマナーは悪かったな」と反省した。
料理がまずくても、「ご馳走さまでした」と言うのは嘘ではない。僕にとって、これは非常に興味深い教訓である。
では、恋愛はどうなるか。無論、相手が可愛くなくても、セックスしたいから「愛しているよ」と言ったら良いというわけではない。でも、下記のはどうだろう。
女性と社交ダンスのパーティーに行くことになったとする。女性は数年前から練習をしてきたが、パーティーとしてはデビュー。そのため、化粧してとっても好きなドレスを着ようときめたのに、どうもドレスとヘアピースの組み合わせがうまくいかなくて、ちょっと「え?」と思わせる感じ。
そして、待ち合わせの場所で、女性は男性に聞く。「あたし、どうみえる?(how do I look)」
僕からすると、こういう時の正解は一つしかない。「綺麗だよ。」本当はちょっと「あれ?」という格好でも、化粧して、長く楽しみにしていたようなパーティーであれば、その努力を認めるべきだと思う。そして、とにかく自分の彼女は化粧しなくても、綺麗な服を着なくても、人間として綺麗なはずなので(でしょ?)、これは嘘とは思えない。
このような考え方を嫌う人がいる。「正直に言って欲しい」と迫ってくるのだが、その時でも、「まあ、今夜の君の服はちょっと」とか、「お前ブス」とか言う必要はないだろう。まず、自分の彼女がブスだと思うなら、さっさと別れた方が良い。好きじゃない女性と付き合うのは非常識極まりない。
彼女が格好悪く現れた時、問題はあくまでも「格好」であり、「彼女」ではないので、それを寛容にみれば良いと思う。もちろん、例えば顔とかドレスに汚れが付いたりしている場合は、すぐ言った方が良い。なぜなら、それはすぐ簡単に直せるようなことだし、直すに越したことはない。
しかし、もし問題がドレスが似合わないとか、色の組み合わせが悪いとか、すぐ直しが効かないようなことであれば、それはしょうがないので、「嘘も方便」だ。ポイントは、彼女が悩んでいる時、もしその悩みに答えられるのであれば、答えるべきだが、それができない場合は、とにかく彼女を大切にして、優しい言葉をかけるのだ。
ハッキリ言いたいのだが、絶対嘘をつくな。「綺麗だよ」と言っている時は、単なる挨拶みたいなほめ言葉にするともったいない。彼女の格好が悪くても「綺麗だよ」と言うのは、本当に彼女が綺麗だと思っているのが条件である。