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旅は道連れ六本木は情け

寂しい。しばらく誰とも付き合っていない。友達もそれほどいない。

大都市に住んでいる私。周りには数切れない人がいるのに、仲良く出来る人はどこにいるだろう…

そのように悩んでいる人を知らないか?もしかして、貴女もそのようなことを考えたことがあるかもしれない。僕だって、寂しさの果てにそう感じたことはたまたまある。

だけど、その弱い自分に負けてはいけない。

まず、寂しさは必ずしも悪いことではない。泣くことと同じようなもんかな。

悲しい気持ちはあまり良い経験ではないと思っている人は多い。しかし、本当にそうだろうか?悲しいことがないと、喜びをどのようにはかることが出来る?悲しむからこそ、喜ばれると言えるかもしれない。

そして、泣く時はあまり良い気分でもないが、よく泣いた後、スカッとしたことはない?泣かないで、全てを心の中に埋めようとすると、なかなか大変じゃないか?だから、泣くことは一応辛くても、しないよりずっとまし。

言い換えてみると、「切なくて素敵」の思いをされたことはある?悲しみの喜びはそれと似たようなもんだ。

従って、寂しさは、社会動物である人間の泣き方だ。もちろん、毎日泣くことはあまり良くないが、たまに泣かないとそれも大変なことになりかねない。だから、寂しく感じている時は、無理せず、その気持ちを素直に受け取れば良いと思う。

「素直に受け取る」などと言うのは簡単だが。

ともかく、大切なのは、寂しがっている時、自分がちょっと弱くなっていることを覚えること。なぜなら、自分が弱い時こそ、警戒感を保つことが大事なんだから。うかつにバーに行って、飲み過ぎて、目が覚めたら見知らぬ男が貴女の側に横たわっているなんて、情けないことだ。そうならないように、寂しさから逃げるのではなく、しっかりして自分の何かが欠けている気分に向かって勝負するのだ。

絶望こそが地獄と繋がっている落とし穴だ。友達がいないから寂しいと思っている時が一番危険だ。その時は恋愛の妄想にふけて全てを「理想の相手」に任せようとする人が多いが、やっはり人生はディズニー映画じゃない。だから、自分が怖い時は、クラブやバーへ出かけないで、一人で自分の部屋に怖い自分に向かって、日記を書いたり、音楽を聴いたり、寝付きが良くなくても頑張って寝るに越したことはない。

人生にはたまに雨の日だってある。傘があれば良いのだが、ない時でもとにかく目的へ進んだ方が良いのではないか。びしょ濡れになったからと言ってその場で服を脱ぐなんて、有り得ないだろう。

でも寂しい時バーに行く行動そのものが、雨の日に道ばたで服を脱ぐと同じようなことじゃないかと、僕は思う。

話はだいぶ変な方向になってしまったので、戻してみよう。

人間の気持ちは不思議なもんだ。嬉しい時は心が弾んで、あくまでも嬉しい気分でいたい。そして、寂しい時は心が落ち込んで、あくまでもその絶望の瞬間にいようとする。人間の気持ちは宇宙空間に浮かんでいるようなもので、方向が決めたら、誰が他の方向へ動かせるまでずっと同じ方向に進む。

だから、自分がなんとなく落ち込みそうに感じているその瞬間、ぐうっと飲むのではなく、ぐうっと自分をひきとめてください。

六本木というウツ病

僕だってパーティーが好き。酒も大好物。

大好物だからけっこう飲む、僕は。だけど、二日酔いをしたことがない。毎晩ぐらい飲んでいるのに。

これには、二つの理由があるだろう。一つは、僕の先祖がアイルランド人とドイツ人であること。お酒大国の血が混じっていることが十分有り得るだろう。でも、生まれ変わらない限り、自分の先祖なんか勝手に変えたりすることが出来ない。

しかし、もう一つの理由がある。それは、飲み会に行く前、必ず一、二時間前に少しものを食べること。パン二枚とかおにぎり二個がちょうど良いだろう。そして、飲み会についていても、最初はゆっくりと飲む。満腹になってからぐいぐい飲んでも良いが、それまではペースを必ず守る。

そういうことで、僕は一度もベロベロになったことがない。「楽しくないじゃないか」と聞かれたことがあるのだが、僕はいつも飲むのを楽しんでいる。むしろ、泥酔になっている、次の日に自分が何をやっていたのかさえ覚えていない人は楽しんでいるかどうか、疑問に思う。

飲み代や食事代で大金を落としているのに、明日何を食べていたのか覚えない人は、きっと何かに苦しんでいるじゃないかな、と思ったりする。

このベロベロ組の中に恋愛を求めている人は意外と多い。しかし、真面目に彼らに聞いてみたい。

バーに素敵な相手は、どのぐらいいると思う?貴女が探している相手は、毎週末バーに通って、女の子に声をかけているの?そうじゃないだろう。

だから、僕は六本木の金土の夜が全く嫌いだ。お洒落にハマッている奴が多すぎるから。

ところで、「お洒落」は当て字だけど、初めて外人の僕がこの言葉に出くわした、「これがぴったりの当て字」と思ったことがある。なぜなら、「お洒落」にはまっている人は、ある意味「(ファッションや魅惑という)お酒に落ちている」からだ。

ありがとう~‼

最近、ちょっと落ち込んでましたが、なんだか、この記事を読んで、とてもすっきりして、元気になれました。やはり、自分自身ときちんと向き合わないと、他人に期待してしまいますよね。素晴らしい御言葉ありがとうございました!

おもしろい

 お洒落の漢字をそのように考えるのは、日本人の発想にはないですね。とても面白い発想ですね。