To have a friend, be one.(友達を作るために、友達に成れ)というと、最初に「矛盾しているじゃないか」と思う人がいる。確かに友達がいない時は、友達のように振る舞うとちょっとおかしいかもしれない。だけど、友達があまりいない時、これは効果的な行動の一つだと思う。
僕はこのコトワザがとっても気に入っている。なぜかというと、僕はあまり社交的ではないので、友達を作るのにどちらかというと苦労する方だ。子供の 時はよくいじめられたし、大人になって日本に引っ越して、臆病な僕の友達探しは最初の頃うまくいかなかった。
僕は知らない人に声をかけるのが苦手だ。不思議なことに、中学生の時には平気で百人を前にスピーチをしたのに、大学生になってからはスピーチをすると考えるだけで手が震えてしまう。
なぜ僕がこうなったかと聞かれても、自分自身もあまりわからない。トラウマがあったわけではないし、若い頃は気兼ねなく誰とでも喋れた。
まあ、話が更にずれる前に、本題に戻ろう。人間には友達が必要。いろいろな理由で友達をなくすことがある。喧嘩したり、卒業したり、新しいところに 引っ越したり、転職したりすることをきっかけに、友達の数が減る。ありがたいことに、最近インターネットとか携帯などで連絡がより簡単にとれるようになったの で、遠くに行っても、ある程度精神的な距離を縮めることが出来るだろうが、やっぱり人間には「みえる友達」も必要だ。実際に向かい合う人がいないと、余計に寂しくなるじゃないか。
まあ、これは僕の特徴的な欠点かもしれない。
来日して間もない頃は、友達や家族のほとんどは、遥か離れたアメリカで生活していた。
当時していた仕事の同僚の二、三人が大学の同級生だったので、彼らとたくさん遊んでいた。
ところが、二年経つと友達はアメリカに帰り、僕は東京の方へ転職した。東京に着いた時、数千万人の人のうち、知り合いは二人、友達は一人しかいなかった。もちろん、アメリカには数多くの友達がいて、元の仕事先の東北にも友達がたくさんいた。ネットを通して頻繁にメールを交換している友達は少なくなかった。
だけど、東京に来て最初の数ヶ月は苦労そのものだった。その理由の一つは、周りにあまり友達がいなかったからだ。
このすばらしいコトワザには 秘訣が潜んでいる。友達がいないからと言って絶望しても良いというわけではない、ということである。友達がいない時こそ、無理しても元気を出して、積極的に周りの皆に 気を配ってみるに限る。「Beggars can't be choosers」(乞食には選ぶ権利はない)というコトワザもある。自分に友達がいないと、「この人と友達になりたい」とか、「あの人はどうしても駄目 なんだ」とか思ってもしょうがない。
もちろん、皆と友達になることは出来ない。だけど、誰と友達になれるのか、やってみるまでわからないとも言える。だから、とりあえず、皆 に優しく、困っている人がいたらその人を助けること。
僕は東京に引っ越したころ、そのようにやってみた。しかし、僕の故郷は田舎だったし、東京は初めての大都市だったせいか、最初の頃は周りの冷静さと冷たさに戸惑ったり迷ったりしていた。インターネットで数週間一人とメールを交換して、会う約束した日には誰も来なかった。連絡も一切ない。
また、友達のつもりで女性に会って、初対面で告白された。まあ、強いて言えばそれは決して悪いことではないが、実を言うと、その時余計に寂しくなった。なぜかというと、自分が認められているというより、自分が「欲しい物」になっている気がしたからだ。
そして、実際に数回会った人でも、突然ある日から音信不通になってしまった例もいくつかあった。東北とアメリカの田舎で暮らしてきた僕にとって、 これは初めてのことだった。
だけど、ひどい目にあっても言い訳せず、皆に優しく出来るように頑張った。そして、六ヶ月後、、数人の友達が出来た。
僕の例は特別とは思わない。誰だって、親切にさえすれば、友達が出来ると思う。そして、逆に考えてみると、親切じゃない人はいくらモテモテであっても、 真の友達はいないかもしれない。それは、友達とお互いを理解し合う必要があるからだ。わがままな人間に真の友達が出来ない理由は、皆がその人を好きじゃないということではなく、本人は本当の意味で相手を好きになることが出来ないからだ。
だから、自分はこのコトワザが名言だと思う。友達がいない時、何よりも大事なポイントは、周りの環境や他人を責めるのではなく、自分を磨いて、笑顔で友達を引き寄せるのだ。