Skip to main content

非常識の教訓・当サイトの原則

美貌こそが損!?

僕の妹がこの前高校を卒業した。久しぶりに会って、「本当に美人になったよな〜」と思わざるを得なかった。彼氏のことを聞いてみると、恥ずかしがるのに変わりはなかったが、男の注目を集めているというのは、二、三年前とだいぶ違う。

まあ、妹が綺麗ならそれを素直に嬉しく思えば良い、という人がたくさんいると思う。しかし、兄としてのカンは、「美貌イコール赤い旗」ということで、綺麗であることはいいのだが、嬉しいのと同時にちょっと不安な気持ちになるというのも嘘ではない。なぜなら、美人こそが男に狙われているからだ。

それで、僕は妹にこう言った。

「おまえはそんな風には思わなかもしれないけど、おまえ本当に綺麗になったよ。兄妹だから言っているわけじゃない。俺(僕)の友達もそう言ってたよ。後でそいつらをひっぱたいてやったけどね。おまえももう子供じゃないけど、年上の男からみると、まだちょっとそうに見えるかもしれないな。だから彼らは余計手を出したがるんだよ。

美人なら、男の心配をしなくて良いという人がいるよね。確かに、美人であれば、男の方からよく声をかけてくれ
るから、自分の性を確かめる必要はないし、ルックスにちょっと自信を持っても良い。美人である限り、周りに人が自然に集まってくるだろうね。

だけど、美人には美人なりの別の悩みがある。まぁ言われなくてもわかっているかもしれないし、俺(僕)の言ってることのすべてが余計なお世話だと思うかもしれないけど、今回だけは僕の言葉を覚えておいて損はないはずだぞ。男ってもんは、輝いているものに近寄る。車でもパソコンでも女でも、ピカピカしているものを手に入れたい。こういう欲に底はないんだ。

だけど、「外見に惹かれた」からと近寄ってくる男は、だいたい同じ速度で去ってしまう。それに、奴らはおまえの内面を見ているんじゃなく、おまえの顔しかみていない。そんなわけで、沢山の男に囲まれているとは言っても、良い男は一人もいないかもしれない。これは、美貌故に味わう絶望なんじゃないか、と僕は思う。

そう考えると、むしろブスの方が良いと思う時がある。もちろん、素敵な君が「ブスで良かった」という意味ではなく、ただ、ブスであれば、ルックスしか考えずに近寄る男はまずいない。それで、見た目はそれほど良くない人は、異性の友達から恋人へ進展することがよくある。初めていろいろな人と付き合い始める頃に(まずいな?この言い方)便利な手だ。しかし、美人だとなかなか異性の友達はできない。

まあ、ガッカリさせるつもりで言ってるわけじゃないんだよ。おまえは本当に素敵なな女性になったと思うよ。だから、忘れないでくれ。色んな男からアプローチされた時、それを喜ぶか喜ばないかはおまえ次第だけど、決して油断するな。せっかくの美しさを無駄な男に使わないでくれ。」

かなり口うるさい兄だが、本当にそう思っているんだ。美貌は男性にも、女性にも、普段は良いことだが、場合によっては呪いみたいな存在に変化してしまう。

同じように、モテることは結婚を難しくするためかもしれない。婚約の段階で、美しい女性と結婚したい男性がたくさんいるので、「結婚してくれ」と頼まれることは頻発にあると思うのだが、本気な奴はそれほどいないと思われる。そして、あまりにも美しいのであれば、男性はよっぽど自信がない限り、美貌に対して不安になり、「こんな美人が俺如に興味なんかもたないはず」と勘違いしてしまい、なんとなく相手が浮気をしているんじゃないかと疑い始める。そして、疑いがまた疑いを生み、婚約破棄・・・。

まあ、普通はここまではいかないと思うが、美を目指している女性の努力を見るたびに、情けない気持ちになる。その美貌を手に入れても、夢にみているような生活は手に入れられないからだ。

家族が大事

核家族が不安だとか、伝統的な家庭が良いと宣言するつもりはない。逆に、伝統的な家庭のあってしかるべき姿とはどういうものなんだ、と思う時がたびたびある。一昔前ある形式が流行っていたということを研究しても、その前には別の形式が過半数の家庭を占めたはずなので、問題がいつの時代を調べれば良いかということになり、歴史の勉強にはなるが、これからの道についてあまり役に立たないと僕は思う。

だからと言って家族のことを忘れて良いというわけではない。家族との関係は、恋愛にも大変大きな影響を及ぼしていると思う。

典型的な例だけど、ろくでなし父親をもつ娘には、お姫様コンプレックスを持つ者が多い。父親が駄目だから、良い男を捜す必要性を強く感じる。しかし、これがまたコンプレックスになり、善し悪しの区別がつかなくなり、挙げ句の果てには駄目男と結婚してしまう。まあ、必ずしも蛙の子は蛙ではないが、そういうことわざが世界のすべての言語に存在しているように、だいたいにおいて、人間はいくら嫌でも年をとると両親の真似をするようになる。

まあ、例外もたくさんある。だけど、皮肉な言い方をすると、遺伝的に子供は親の半分である。親とうまくいかないということは、自分とうまくいかないということを意味している。

しかし、これは誰にでもあるような問題と僕は思う。家族は大変。思春期に両親と仲良くするのは無理に近い。

一つだけ言えるのは、良い関係を造り上げるためには努力が必要。何もせずに幸せな家庭ができた、なんて話、聞いたことがない。だから、恋愛において自分と両親がうまくいくということのもう一つの意味は、自分はその良い関係を保つため努力する方を証明することだ。

セックス・アンド・ザ・シティの四人の主人公はほとんどのエピソードで恋をさがしているが、なかなか納得できる相手がみつけられない。良い相手ができても(AidenとかBlake UnderwoodとかSmith)、それを素直に楽しめない。

なんでだろう。一つ思いつくのは、彼女らは家族とほぼ無関係だ。家庭を作りたいのに、両親には連絡なし、兄弟にも連絡をしていない。

兄弟はいるかな。思えば、確かに四人のお姉さんは皆一人っ子。

一人っ子は寂しい。

僕は大家族だから、そんなに詳しく一人っ子の問題を知らないのだが、幼稚園に行ってもわかるように、一人っ子って人間に触れあうのが苦手な人が多い。それは、精神的に大切な兄弟争いに渇いているからだろう。まあ、この辺は心理学者に任せるに限る。

ただ、自分の経験から言うと、恋愛となると、一つの障害みたいな存在が一人っ子であるということだ。

自分のせいじゃないのに自分を責めてしまう日本人

僕の口癖の一つは、「I'm sorry」だ。「なんで自分のせいではないのに謝っているの?」と日本人の友達によく聞かれる。そう言えば確かにそうだ。

でも、僕は日本人の友達と話しているうちに、彼らの不思議な口癖にも気づいた。それは、自分は知らなかった、知るはずもなかった時に、自分の知識不足を責めているということだ。

これは欧米の昔々の犯罪学から得た教訓だが、「悪をするため、知識が必要」というのがある。言い換えてみると、自分が自分のやっていることを悪と知らないのであれば、結果としては駄目でも、自分はそれほど悪ではない。なぜなら、それは自分の意志ではないからだ。

たとえば、子供が池に落ちたとする。父親は池に飛び込み、子供を見つけ、地面に寝かせると息していないことに気づく。それでCPRを始めるが、失敗して、子供を殺してしまう。

事実は、この父が自分の子を殺した。両親として、最悪の行動であろう。でも、実際は、この行動は子を救うためにとったもので、あの父親のせいではないと言える。

責めることの条件は、本人が自分のやったことを駄目だと考えている。これは欧米の裁判の鉄則である。そして、ある事実に無知の場合、その人を責めることはできないと僕は思う。

なお、言っておくが、「知るべき」とか「知らないわけにはいかない」知識は確かに存在する。けれど、とりあえずこれは対象語とさせておこう。

自分が何かを知らなかった故に、失敗したとする。それは、失敗には変わらないのだが、わざと自分を責めるまでもないと思う。自分はただ無知だった。もちろん、今度も同じ失敗を繰り返したら、それは間違いで、自分の悪の部分が少しみえてきたと思って良いかもしれない。だけど、本来、失敗は学ぶチャンス、である。

そうは言っても、「知らないから何をやっても良い」というわけではない。失敗から学ぼうとしないのに、自分の無知をいいことに謝ってくる人はたくさんいる。このくだらないやり方に負けないで、自分の失敗を素直に受け入れながら責めずに学ぼう。

そうすると、きっと素敵な人になると思う。

個性がないと何もならない

「男性は女性のどこをみている」や「男性は彼女に何を求められている」とよく聞かれる。まあ、傾向としていろいろ言えるのは、なぜいつもこの質問をしてくるのだろう、ということである。とても不思議だ。

なぜなら、こう聞いてくるのはだいたい真面目なお付き合いを望んでいる人ある。真面目というと、普段「一人対一人」の関係を連想するので、「一般の男性」というあまりにも曖昧な基準より、「お互いに会っている男性」の方がよっぽど良いじゃないか、と思わざるを得ない。

この世になんと6,000,000,000人以上の人間が生きている。だから、「最初から相手に合わせる」必要はどこからきているのだろう。

いろいろ考えてみたが、これは日本人の弱点かもしれない。「会わせるため合わせる」ということわざはないが、あっても不思議ではない国、それが日本だ。

しかし、いくらベビー不足とは言っても、日本だけでも人工は100,000,000万人を超えている。あなたにとって千万人に一人という出会いでも、1000コのチャンスがある。それに、これは日本だけの話。

もちろん、付き合ってから妥協が必要。しかし、お互いに共通点と人生観が合っているからこそ、妥協できると言える。そもそもその共通点がないなら、妥協はハッキリ言って無理。

遊び目的であれば一般の男性の視線をどうやって傾けられれば良いか、勉強しておいても損はなかろう。だけど、真面目な関係を望んでいる方には、最初は異性にアピールするより、自分は何がしたいのか、そして相手とどのようにやっていくのかを決めた方が良いと思う。

もう一つ日本人の口癖についてコメントさせて頂く。僕は他のアメリカ人と同じように、日本人の愛称「普通の人」を恋愛対象外と考えている。これにはいくつかの理由があるのだが、かいつまんで言ってしまえば、「普通」の人なら誰とでも付き合えるので、どういう気分で選べば良いのか、わからなくなる。それに、正直言うとデートすることはちょっと面倒で、よっぽど寂しくない限り、わざわざ外出するに及ばないと思っている。

これからわかることは、まず僕と他の男性連中は怠け者である。でも、それはさておき、二番目にわかることは、「普通」という言葉を「大したことない」と連想している欧米人が多い。これは失恋になりかねないような文化の違いであろう。

普通な男性がいるとする。彼には、付き合える女性がたくさんいるだろう。そんなにモテなくても、デート相手はそんなに少なくないし。それで、彼はどうやって相手を選ぶかというと、もちろんそれは彼次第だ。男性の判断基準なんか存在しない。彼はルックスにこだわるかもしれないし、インテリ専用かもしれない。ゲームの相手を必要としているかもしれないし、ジョギングを一緒にできる相手を探しているかもしれない。中華料理が大好きな方が良いなと思っているかもしれないし・・・などなど、本当に山ほどある。

そして、このような独身男性がこのようになんと数千万人以上いる。だとしたら、無理矢理相手に合わせるより、自分に合っている男性を探せば良いじゃないか。

その男性があなたを見つけられるように、自分の特徴を隠さないでくれ。自分の好きなことをはっきり好きと良い、自分のこれからやりたいことをしっかりやって、そのうちに自分に合っている男性に出会うだろう。もちろん、出会うのに保証はつかないのだが、出会わなかったとしたら、それでもあなたは自分の好きなことをやっているはずなので、不安で駄目男と付き合うより、遙かに良いじゃない?

優しいから好きと思ったら損

自分には理由はよくわからないのだが、日本では、アメリカの男性は日本人の男性より紳士的と思っている女性がいるみたい。

それはそうであるかどうかは別の機会に議論しよう。今回は、ただ異文化の勘違いしやすいところにちょっと説明を追加したいだけのつもりでいる。

結論から言ってしまうと、彼は優しいからあなたに興味があるとは限らないということ。日本では中学校から男女を性別によってハッキリ分けられているのだが、最近アメリカではそういうような習慣は一切ない。(だいぶ昔は学校段階で分かれ、男子学校と女子学校にする習慣はあったが)

それで、中高に恋人はもちろん、異性の友達を持つアメリカ人がたくさんいる。特に若い頃は、恋人に対して意外とプレッシャーを感じやすいし、恥ずかしい人がたくさんいて、なかなか恋人関係を保つのは難しい。それで、二週間ごとに彼氏を変える女性がでてきたり、三日間で別れるカップルもいたり、好きな人があまりにも好きがゆえに話せなくなる人もいる。そして、中高だから反抗期でもあり、家族とか大人とすらすら話し合えない。そんな時、救いとなるのは異性の友達。

そして、異性の友達から恋人になることもしばしばある。その歳だから。

話はだいぶそれた。ポイントは、アメリカでは、優しくするのは礼儀とされていて、当たり前のことだ。だから、あなたに優しいということは、ただ彼はマナーというものを知っているという意味にすぎないかもしれない。もちろん、彼はあなたに興味があることもあり得る。しかし、それを優しさとか笑顔から判断するのは危険だと思う。

「彼はだいたい出会っている人にいじわるだが、わたしにだけは優しくしてくれる」なら、話は別かもしれないが、そうだとすれば、なぜあなたは他の人に態度が悪い人と付き合いたいのか、ちょっと不思議に思う。

恋人関係じゃないことを指すもっとも使われている英単語は、「friend」だ。彼は、「You're my friend.」とか「I think of you as a friend.」と言い出した場合、いくら彼は笑顔をみせても、あなたのことを友達以上思っていないということになる。

まあ、ガッカリするようなことじゃない。異性の友達でも魅力的と思う。

ただ、注意したいのは、友達のつもりでいった優しい言葉や笑顔にうっとりしないように。ドアのところで先に行かせることもそうだ。紳士のマナーは、自分が好きな女性に対してだけではなく、女性はもちろん、お年寄りと子供まで譲るはずです。そして、優しい言葉をかけるのは好きな相手だけではなく、皆に対してもそうするはずです。

好きな人にしか優しくしない男性は、下心がありそうだ。そして、マナーに欠けている。紳士のあらゆる行動は、自分の得になるからやるのではなく、自分の得じゃなくても、皆の得だからやるものだ。

最後にもう一つ。マナーがある人こそ、友達が自分のことを気に入った時苦労する。友達同士だから、いつにもまして相手の気持ちを傷つけたくないのに、気持ちを共感できないという辛い話をしなくてはいけないとわかっているからだ。

その時、紳士であっても勇気不足の人がいて、いつも恋の羽目になってしまう。そのうすうす曖昧なスペースに、不安を感じながら、どう言えば良いかわからなくなってしまう。こういう時こそ、ハッキリ言えば良いのに何も言えず、友情すら壊してしまうことがある。

そうならないように、友達に興味を持つようになったら、間接的に予測するより、率直に話した方が良いと思う。友達なら、その気がなくても怒られないはずだし、あなたもスッキリするだろう。それをきっかけに、友情が深まる時さえある。